Samet Durgun 写真家
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実践としての聴くこと:人とともに写真をつくる私のやり方

ジャーナル · 方法について · 2026年10月更新

Come Get Your Honeyに写る人たちと、どう同意を得て、どう一緒に作ってきたか。先に会うこと、していることを伝えること、写真を選ぶのは誰か、手元に留めるもの。

初めてPrince Emrahとコーヒーを飲んだとき、彼女は私を見てこう言った。「写真家を信頼するのは私にとって難しいことなの。でも、とにかくやってみましょう」。本のために彼女がしてくれたインタビューに出てくる話で、あれ以上の最初のひと言には、それ以来出会っていない。

この本は、ひとつの問いから始まった。写真とは、見ることより聴くことに近いのではないか、という問いだ。この問いは人に好まれる。それはうれしいのだが、そのあとたいてい、カメラが部屋にあるとそれは実際どういうことなのか、と聞かれる。以下がCome Get Your Honeyについての私の答えだ。起きた順に書く。

短くまとめるとこうだ。私は撮る前に人と会った。何をしているかを伝え、ときには、この写真に写りたくないなら言ってほしい、と頼んだ。本になる前に、みんなで写真を見て、いくつかを外した。並び順と組み合わせは私のものだ。誰かを明らかにしてしまいかねない写真は手元に留めているし、新しい文脈は新しい問いだ。

Tina CamptはListening to Imagesを、すでに存在する写真について書いた。私が言いたいのはもっと素朴なことだ。生きている人たちと、同じ部屋で、写真が撮られる前とその最中に私がすることである。

先に人と会った

写真を撮りに出かけたわけではない。先に人と会い、関係を築いた。Emrahは私を楽屋に連れていってくれ、それからほかのたくさんの楽屋にも連れていってくれた。私はしばらく前からクィアの人たちを撮っていたが、2019年のメーデー、クロイツベルクでの彼女のステージの数時間前に、彼女はかつて寮でいっしょに暮らしていた友人たちを紹介してくれた。クィアやトランスの難民、庇護申請者たちだ。私はひとりひとりに、そしてその日に聞いた話に、すっかり魅了された。

その日に、このアイデアを追ってみようと決めた。まだプロジェクトでもなく、ましてや本でもなかった。表紙のKylie Divonは本ができるとは知らなかったし、私も知らなかった。彼女の記憶では、私たちが会ったのはSilver Futureの楽屋で、そこはほとんど飲み物の貯蔵庫のような場所だった。私は覚えていない。話していたのは彼女で、私は彼女の言葉を借りれば「そこにいて、ただ聞いていた」。

同意の求め方

人々は私が何をしているのか知っていた。私が伝えたからだ。私は同意について、ほとんど病的なまでに率直だった。とりわけ、自分と同じように「人を喜ばせたがるタイプ」だと感じた相手、断るのが難しそうな人にはそうだった。そういう人には、ときどきこう尋ねた。「この写真に写りたくなければ、そう言ってもらえませんか」。

本には載りたくないと言う人もいた。口には出さずに、それとなく伝えてくる人もいた。仮名を頼む人もいて、だから本には仮名が出てくる。顔は見せたくないという人もいた。

だからといって、カメラを隠したわけではない。いつも持っていっていた。むしろ、ふたりの注意が同時に向かう瞬間を待つようなものだった。これはKylieのほうが私よりうまく語る。ロックダウンのあいだ、彼女は「Samet、私、こういうことになってるの」と書いてよこし、私は会いに行った。私たちは話した。それからカメラを出し、公園まで歩いて、一枚撮った。

同意は、最初の署名よりずっと先まで及ぶ。シャッターが切られたあとも長く続く一連の決定であり、編集へ、本へ、そしてそれ以降のすべての展覧会へと続いていく。編集については別に書いた。

写真を選ぶのは誰か

すべての写真が協働でできたわけではないし、すべてが私のアイデアだったわけでもない。入り混じっていて、なかには協働を一歩越えて、協働が過剰なくらいの写真もある。私の自画像の衣装はEmrahのものだ。彼女のような格好をしてみたくて、着てみると少しも居心地が悪くなかった。脚がよく見えたことも、理由のひとつだ。

本になる前に、私たちはコミュニティとしてみんなで写真を見て、気に入った。いつのまにか一緒に選び、いくつかを外した。並び順と組み合わせは私のものだ。それは、人々が語ってくれた物語についての私の印象であり、だから本は主観的な表現で、私自身そう言っている。

手元に留めた写真

一枚の写真は、ある場所では贈り物になり、別の場所では危険になりうる。私が撮影した人々の中には、家族にカミングアウトしていない人や、人生のある部分ではオープンにしていても別の部分ではそうでない人もいた。壁に喜んで飾りたいと思うような強い写真でも、私は公開しない。写っている人たちが、いつかこの本を目にするかもしれない人々に、自分の人生の一部をまだ明かしていなかったからだ。

これが、五十人近くが写真のなかでは十五人になった理由のひとつだ。もうひとつは編集で、写真同士が互いを選び合っているように感じられたのだ。

写真が動くとき

ベルリンには自由が点在する場所があり、その自由が届かない通りもある。写真は、撮られた場所を離れることがある。コレクティブのページなら、届くのはひとつの観客だ。フォトグラフィスカ・ベルリンでのKylieのポートレートは、等身大よりずっと大きかった。本はスタンフォード大学、ハーバード大学、ゲッティ・リサーチ・インスティテュートの書架に並んでいる。新しい文脈は新しい問いを意味し、どの作品を選ぶかは、壁の都合よりも先に、写っている人たちの同意に従う。それをどう扱っているかは、展示のページに書いている。

そして本

私が求めていたのは、ポートフォリオではなく、小さな宇宙だった。本には序文とあとがき、Emrahが私に質問するインタビュー、そして音声記録と映像につながるQRコードがある。音声は、Kylieが自分自身について送ってくれたメッセージだ。「あら、あなたの友達はスターね」。これを入れたのは、ポートレートには声が載せられないからだ。本に写っている人たちには、本を手渡した。

私の立ち位置

私は難民ではないし、庇護申請者でもない。ドイツ・トルコ・アブハジア系だ。曾祖父母は難民としてコーカサスを離れ、オスマン帝国へ渡った。こうしたすべてより何世代も前のことだ。私は2013年に第一世代の移民としてベルリンに移り住み、八年以上たってからドイツ国籍を取得した。自分のことは「社会的亡命者」だと言っている。私はこのコミュニティに部分的に属している。私たちはクィアで、出身とは別の場所で暮らしている。私の状況は彼らのものとは違う。

振り返ってみれば、私自身のアイデンティティもこのシリーズを形作っていた。私はただ観察しているだけだと思っていたが、実はその中にいたのだ。

このごろは、人を喜ばせたがる人間として、自分自身にノーと言うことを学んでいる。自分の声を聴くようにしている。ここにいたいのか、会いたいのか、いま写真を撮りたいのか、と。

事実を、一度だけ

Come Get Your Honeyは2018年に始めたシリーズで、友情がいまも続いているから、いまも作品が加わっている。本は2021年にKehrer Verlagから刊行され(ISBN 978-3-96900-031-1)、完成している。五十人近くが関わり、本に写っているのは十五人だ。図版は75点で、街の写真も含まれている。だから、人の数と写真の数は別々に数えている。

この考えは、2021年10月にブラッドフォードのImpressions Galleryで開かれたPhotobook Fairで、Kehrer VerlagのAlexa Beckerと話し合った。録音と書き起こしはこちらにある。2025年7月には、フォトグラフィスカ・ベルリンのオープニングで、Kylie DivonとキュレーターのMarie-Luise Mayerとあらためて話した。どちらのトークも英語だった。私は美術館や大学、フェスティバルで、英語、ドイツ語、トルコ語のいずれかで話しており、形式は講演の一覧にある。音声と映像には専用のページがあり、シリーズ全体はオンラインで公開している。到着後も何年にもわたって人々のそばにとどまった写真家たちは、フィールドガイドにまとめている。

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